日本列島の膨らみ
図A-3a:女川の地殻変動―大陸プレートの運動(太平洋側) 図A-4a:両津2の地殻変動―大陸プレートの運動(日本海側) 図A-5a:村上の地殻変動―大陸プレート(日本海側内陸部)
通常な太平洋プレートの西方向への移動は、太平洋プレートと固着している東北地方の東海岸側を引きずりこむ。例えば、東海岸のGPSステーション女川の過去15年間余りの地殻変動時系列[N]と[E]と[h]のd(c,m)に変位検出ウエーブレットの幅を400日とし、差分間隔を300日として、変位D(E,τ)と速度V(E,τ)とを検出する。それら検出結果を、図A-3aに表示した。縦軸目盛りの拡大率は、上段の[N]が、5000倍、中段の[E]も、5000倍、下段の[h]が、10000倍である。これら検出結果によると、太平洋プレートとの固着は、女川のステーションを約18mm/yearで西方向へ、約10mm/yearで南方向へ引きずり、約6mm/yearで沈下させていた。女川の高さ方向の時系列[h]には、上段[N]と中段[E]に矢印で示された地震発生個所にノイズ変動とは異なる約4cmの沈下が観察される。この沈下は、このステーションの近くで2008年6月14日に発生したマグニチュード7.2の地震によるもので、時系列[E]を、4cm程東に、時系列[N]を1.5cm程南に移動させている。上下変動[h]には、この地震による変動以外、明確に観測されていないが、[N]には、2003年5月26日のM7.1、[E]には、2003年7月26日のM6.4の地震がそれぞれ観察されている。この女川のステーションは、これら地震時の移動も含め、15年間で、[N]から北へ約11cm、[E]から西へ17cm、[h]から下方へ9cmの移動が確認されている。[N]から、これらの移動は、絶えず南方向へ移動している。2008年6月14日のM7.2の地震による[E]の東方向への移動を除けば、西方向への定常的な移動は、[h]の沈下と連動している。各大地震の 発生個所は、その発生日とマグニチュードを、時系列d(c,m)上に、矢印で示した。巨大地震の発生個所は、二重矢印で示した。上記太平洋プレートの西方向への通常な移動により沈下していた東北地方の東海岸側に、隆起速度成分を持った膨張(隆起)が2009年12月8日頃から始まった。その隆起の開始時点は、女川の図A-3aの下段[h]のD(h,τ)とD-V位相平面図に描かれたD(h,τ)-V(h,τ)軌跡上に破線矢印で示した。 巨大地震発生直前までに、女川のステーションは、1.2 mm隆起し、その直前の隆起速度成分は、0.001mm/dayであった。この東海岸の膨張開始から半年後の2010年7月11日頃から、上記太平洋プレートの西方向への異常な加速 運動が観測されたので、膨張が、異常加速を誘起した事になる。この膨張の開始は、巨大地震が発生する約445日前である。幅が400日の変位検出ウエーブレットを用いてその隆起の始まりが観測できたので、その開始の検出は、約245日前(245日=445日−200日)となる。更に、その隆起に、隆起速度成分(上下変動[h]の正の速度成分)を確認するには、巨大地震が発生する約150日前頃となる。なお、その巨大地震が発生した個所のD(h,τ)-V(h,τ)軌跡は、急激に変化する変位と速度データを連結する鋭い下降直線(細線)となり、その箇所をM9と二重線矢印で示した。巨大地震は、女川を約5m東へ移動、約1.7m南へ移動、約87cm沈下させた。従って、文献、[32] H. Kanamori and E. E. Brodsky, Physics of Earthquakes, Physics Today pp.34-38, June 2001によると、太平洋プレートの西方向への移動が、プレート境界の固着域により、東日本の地殻に年間、2.14cmの率で歪を蓄積し(変形させ)、固着領域(断層)が、蓄積応力に耐え切れなくなり破壊され、断層がスリップし、巨大地震が発生した事になる。地震発生時の女川の総移動量535.23cmが、女川付近で蓄積されていた応力を開放した事になる。この総移動量に相当する応力を蓄積するには、約250年要した事になり、250年程前(1761年頃)に、M9クラスの東北巨大地震が発生していた事になる。東日本では、過去に、1611年12月2日、三陸沖で発生したM8.1の慶長三陸地震、1793年、宮城県沖寛政M8.2地震、1896年6月15日、三陸沖の日本海溝付近で発生したM8.5地震と1933年3月3日、三陸沖の日本海溝付近で発生したM8.1地震があるが、250年程前(1761年頃)に、M9クラスの巨大地震は、存在しない。従って、その様な巨大地震が過去に存在しなかったのであれば、プレート境界の固着領域付近の地殻に蓄積された応力の巨大地震による解放は、文献、[32]では説明できない。 両津2の過去15年間余りの地殻変動時系列[N]と[E]と[h]のd(c,m)に変位検出ウエーブレットの幅を400日とし、差分間隔を300日として、変位D(c,τ)と速度V(c,τ)とを検出する。それら検出結果を、図A-4aに表示した。
縦軸目盛りの拡大率は、上段の[N]が、5000倍、中段の[E]も、5000倍、下段の[h]が、10000倍である。太平洋プレートとの固着が、その西海岸の通常運動を、両津2のステーションを東方向へ11mm/yearで移動させ、約2.4mm/year(約0.007 mm/day)で隆起させていた。下段[h]のD(h,τ)とD-V位相平面図に描かれたD(h,τ)-V(h,τ)軌跡とに破線矢印で記した西海岸の予兆的な隆起開始点は(隆起速度成分を持った膨張の開始点は)、東海岸の膨張開始と同時期の2009年12月8日頃である。巨大地震の発生個所は、時系列[h]のd(h,m)上とD(h,τ)-V(h,τ)軌跡に表示した二重線矢印が指す個所である。 下段[h]のみを、図A-4bに拡大表示した。この拡大図から、巨大地震直前まで、約3 mm隆起し、直前の隆起速度成分は、0.016mm/dayに達していた事が判明する。また、膨張は、大陸プレートの東方向への速度成分が、0.046mm/dayから巨大地震直前の0.026mm/dayまで減速した期間に発生している。更に、この膨張は、太平洋プレートの異常な加速度運動と連動している。時系列d(h,m)とD(h,τ)上に示した2つの二重線矢印と、D(h,τ)-V(h,τ)軌跡の二重線矢印の個所で発生したM9巨大地震は、西海岸側の両津2を、南へ8cm程、東へ71cm程、移動させ、3cm程隆起させた。 巨大地震は、東日本の東海岸側を沈下させ、西海岸側を隆起させたが、殆んど沈下も隆起もさせなかった領域が、その西海岸と東海岸の間で西海岸に沿った線状に存在する。変位検出ウエーブレットの幅を400日とし、差分間隔を300日として、検出したD(c,τ)とV(c,τ)とを、図A-5aに、表示する。 時系列[h]の拡大を図A-5bに表示する。太平洋プレートとの固着が、その西海岸の通常運動を、村上ステーションを南方向へ9 mm/yearで移動させ、巨大地震発生約5年前から、それまで東方向への移動成分はゼロであったが、東方向へ5 mm/yearで移動させた。2000年頃まで沈下していたが、それ以降、上下変動は殆んど無く、隆起は、僅か、0.5 mm/year程の隆起速度であった。村上の地殻の膨張は、西海岸(両津2)の予兆的な膨張と同様であった。それは、東海岸の膨張と同時期の2009年12月9日頃の破線矢印で示した個所から始まり、巨大地震直前まで、約3 mm程隆起し、直前の隆起速度成分は、0.012 mm/dayに達していた。この膨張は、大陸プレートの東方向への速度成分V(E,τ)を0.018 mm/dayから-0.008 mm/dayまで減速させた。マイナスは、村上ステーションが東方向から西方向へ反転移動した事を意味する。この反転開始は、東方向への移動速度成分がゼロと観測された時点で、巨大地震発生71日前に始まった。それは、2010年12月22日頃、太平洋プレート(父島のステーション)の西方向への移動速度が最大値となった頃と同時期であり、太平洋プレートの西方向への異常な加速度運動と連動している。図A-5aの変位d(N,m)とd(E,m)上に示した2つの二重矢印は、2011年3月11日に巨大地震が発生した個所である。その個所で、巨大地震は、西海岸側寄りの村上を、南へ23cm程、東へ130cm程、移動させた。図A-5bから、ゆっくり時間をかけた1 mm余り程度の隆起が、巨大地震後観察されているが、両津2等で観測されている地震直後のシャープな隆起ではない。図A-5bの変位時系列のd(h,m)とD(h,τ)上に示した2つの二重矢印は、2011年3月11日に巨大地震が発生した個所である。
図A-3a:女川の地殻変動―大陸プレートの運動(太平洋側)
通常な太平洋プレートの西方向への移動は、太平洋プレートと固着している東北地方の東海岸側を引きずりこむ。例えば、東海岸のGPSステーション女川の過去15年間余りの地殻変動時系列[N]と[E]と[h]のd(c,m)に変位検出ウエーブレットの幅を400日とし、差分間隔を300日として、変位D(E,τ)と速度V(E,τ)とを検出する。それら検出結果を、図A-3aに表示した。縦軸目盛りの拡大率は、上段の[N]が、5000倍、中段の[E]も、5000倍、下段の[h]が、10000倍である。これら検出結果によると、太平洋プレートとの固着は、女川のステーションを約18mm/yearで西方向へ、約10mm/yearで南方向へ引きずり、約6mm/yearで沈下させていた。女川の高さ方向の時系列[h]には、上段[N]と中段[E]に矢印で示された地震発生個所にノイズ変動とは異なる約4cmの沈下が観察される。この沈下は、このステーションの近くで2008年6月14日に発生したマグニチュード7.2の地震によるもので、時系列[E]を、4cm程東に、時系列[N]を1.5cm程南に移動させている。上下変動[h]には、この地震による変動以外、明確に観測されていないが、[N]には、2003年5月26日のM7.1、[E]には、2003年7月26日のM6.4の地震がそれぞれ観察されている。この女川のステーションは、これら地震時の移動も含め、15年間で、[N]から北へ約11cm、[E]から西へ17cm、[h]から下方へ9cmの移動が確認されている。[N]から、これらの移動は、絶えず南方向へ移動している。2008年6月14日のM7.2の地震による[E]の東方向への移動を除けば、西方向への定常的な移動は、[h]の沈下と連動している。各大地震の 発生個所は、その発生日とマグニチュードを、時系列d(c,m)上に、矢印で示した。巨大地震の発生個所は、二重矢印で示した。上記太平洋プレートの西方向への通常な移動により沈下していた東北地方の東海岸側に、隆起速度成分を持った膨張(隆起)が2009年12月8日頃から始まった。その隆起の開始時点は、女川の図A-3aの下段[h]のD(h,τ)とD-V位相平面図に描かれたD(h,τ)-V(h,τ)軌跡上に破線矢印で示した。
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